ワンオラクルの振り返り

ふと。そーいえば、ワンオラクル随分続いてる気がするけど、いつからだろ。と調べてみた。調べたと言う程大げさなもんじゃないが。

そーすると去年の2月末(2020/02/26)からやってるそうだ。件数はタグの付け忘れが無ければ424件。付け始めから今日(2021/07/13)までの日数が503日。結構抜けがあったもんだな。しかしまぁこれだけ続いてれば、十分な気もする。

お陰様でおおよそのカードでは、意味が脳みそにくっつきだした。余り出ないカードもあるのでそういうのは苦手だったりするけども。ペンタクルが少ない気がする。

収益を狙ってるわけでも無し、ぼちぼちやっていきたいものである。

夕方の日拝

先日(6月30日)の日記より

夕方。夕食後。

虫の声がよく聞こえるので、それを起点にナイル川のほとりで日拝を行うビジョンを作成する。

私は川沿いの芦原の中に居る。虫の声は、日本でもエジプトでも同じなのか。西洋では虫の声は単なる雑音になるそうだが。文明の母たるここでは……?

土の匂い、川の匂い。停滞した藻の匂い。

日は大きく傾きいままさに稜線に消えていこうとしている。
私はそこに空飛ぶ黄金の船を見いだす。私の視覚は私そのものとなり、船に近づく。船には幾人かの漕ぎ手がいて、さらに神々がおわす。船室の前に一柱。舳先に一柱。その間に一柱。

私はそれを強く意識し、挨拶をする。地平線を目指す船は徐々に黒ずむ。
夜が来るのだ。

現実の空
ナイル川のほとり、草むらから沈む陽を仰ぎ見る

オリジナルタロットの進捗について

10月7日に節制のカードを出してから早10日が過ぎている。

悪魔のカードのアイディアがわかないのはある。しかし、もうすぐイメージは固まるだろう。

ただ、資格試験を受けなければならず、10月末までは落ち着いて制作出来ないかも知れない。現実逃避で頑張っちゃう可能性はあるけど。

だから、次の悪魔のカードは11月かなぁと思って居る。

今朝の日課と思うこと

今朝は4時半に起床。しばし寝ぼけ、5時10分過ぎから日課開始。

行ったメニューは、10分少々の瞑想、体幹中心の筋トレ、五芒星大儀礼、ワンオラクル、日拝。

途中うつらうつらしながらだったので、終えたときには6時半になっていた。

この課目と数が一般的な魔術師の日課として相応しいかどうかは他の例を知らないので何とも言えない。しかし、自分にとっては良い負荷の具合だと思って居る。ただ、瞑想はもうちょっと長い時間でも良いだろうし、筋トレも漸次パワーアップしたいところ。

そうなると寝ぼけ具合が時間を食ってる現状をなんとかせねばなぁと思ってくる。睡眠の質が悪いのだろうかなぁ。結構早寝するが、夜中に起きてしまう。再び眠くなるまでに時間が掛かる。眠くなるまで約1時間くらい起きている。これがいかんのだろうかな。無理にでも寝た方が良いのかも知れない。

昼の日拝

朝は凄い雨だったのですが、いつの間にか止み真夏の空に代わりました。それを眺めながらの日拝も乙なものです。

最近は昼の日拝をする機会が増えています。心に余裕があるのか、たまたま良い空を眺める事が増えているのか。

まぁ何にせよ、良い空を眺めているだけでも心が洗われる気がします。

夕方の日拝

夕方の日拝をしてきました。

昼の日拝を終えた後から凄い勢いの通り雨が降り、空はすっかり雲が晴れていました。

夕日の残照を眺めながらの日拝。

神々の船は雨の影響もなく通常運転でした。
昼から夜へと移り変わろうとする時間、船は勢いを付けて地平線の下に飛び込もうとしていました。

神々と簡単な挨拶を終え、これから訪れる闇の時間が安らかで有ることを祈りました。

何故魔術をやるのか(2014/8/8の魔術日記より)

私が魔術をやるスタンスについて質問を受けたので、この文章を掲載して回答とする。2014年8月8日の魔術日記からの抜粋である。

昨夜から「何故魔術をやるのか」について考えてる。
一番の欲求は「知りたい」事だった。

何を知りたいかと言えば、霊的な存在、創造主、天上におわす何者かについて知りたいのだろうと思う。
日常の儀式もタロット占いも占星術もタットワ瞑想も、極端な話「知る事」さえできれば不要なのだ。
知った後どうするかと言う事については考えてない。
私はただ知りたいのだ。会って話したいのだ。
何故この世を作ったのか、この世は何故あるのか、人は何故存在するのか。
人はどこへ向かうのか。
貴方は何を目指しているのか、貴方はどこから来てどこに向かうのか。

ひょっとしたらソロでやってる限り、知ることは出来ないのかも知れない。
どこかに所属できたとしても、私の能力では知ることは出来ないかも知れない。
だが、ひたすらに知りたいのである。この衝動を止めることは出来ない。