3Dプリンタで生命の木を作る

昨日、随分長いこと壊れたままだった3Dプリンターを修理し、手持ちの3Dデータから生命の樹を作成した。

生命の樹

中々悪くない。バリをとるのに苦労したが。

しかし、連続で印刷してたらボンッと煙を噴いて壊れてしまった。代わりの物を調達しなければならない。

アキバにて

  • このタイトルは有名なSF小説「渚にて」と同じアクセントでお読みください。

今朝は秋葉原ラジオ会館近くから日課を行った。勿論VR上での話。私は南九州に居るので、東京行きなぞは難しいのである。

ラジオ会館の近くの道路上空から朝日を眺めて居ると、背景音として鳥の鳴き声や風の音が聞こえる。本来のアキバではあり得ない音。

これを聞いていると「人間だけが謎のウィルスで死滅した後」みたいなポストアポカリプスを感じた。その中で自分が生き残り、日拝とLBRPを行うシュールさを感じた。

その後自分が何故生き残ったのかを中二病満載で考え、朝からお腹いっぱいになったのであった。

アキバにて(上空より独り日拝を行う)

どうでも良い話

昨日は、このブログ始まって以来のアクセス数でありました。なんと16!わー!

と、さすがにそれだけでは何なので。

本日は「NatureTreksVR」上(内?)で儀式を行った。もうVR上での儀式というのは慣れた物で。とりあえず、強い振動を送るようなことも違和感なく出来る。

そうなると今度は、一番良い場所が欲しくなるなぁ。自分でも作れるようになりたい……。

VRでの儀式実行(Nature Treks VR)

今回は「Nature Treks VR」内で儀式実行。ソフト自体はかなり前に買っていたのだが、操作方法が良く分かって無くて、「これつまんねぇ」と放り出してた。

先日、もう一回やり直してやっと分かった。英語大事。そしたらガイドやBGMが消え、風景と環境音だけに。そうすると良い感じなんですよ。草原で座り込んで空を見上げたりすると鳥が飛んでたり、近くをウサギが歩き回ってたり。

広さを優先するためか、オブジェクトのディティールはそこそこなんだけど。解像度は無くてもリアリティはある。

今朝は風景の一つに降り立ち、日課をこなしてみた。日拝は普通に室外で。

風景をVRではなく、一つの異界として認識し直す。SEは感じつつも排除し、自分の手持ちの音で再構成。遠くの山から吹き付ける風を感じ、気温を室内の23度から15度前後に修正。草の香り、し尿、近くを流れる川の香り。望む匂いを感じられたのは嬉しい。

そこから更に「一歩踏み出す」形で次の段階に進むことが出来た。

まぁ現在は遊びの一種だが、何かの役に立つだろうと思っている。

VR空間での儀式実行(in Google Earth VR)

先日19日にMitakaVR内で五芒星小儀礼を行った。中々得がたい経験になった。
今日はGoogleEarthVR内で日拝と五芒星小儀礼を行った。
場所はカナダのケベック州の有名な山。もう一回VRを起動すれば確認できるのだが面倒なのでパス。時間設定を早朝にしたので、ちゃんと東の空に日が昇っているところだった。
スクショ撮るのを忘れたな。まぁ良いが。

VR空間内で山頂から日を眺める。そこに太陽を見いだし、ラーを見いだし船を見いだして日拝を行う。理屈から行けば何ら問題ない。忌避感(?)をのぞけば。
そこに見える物を置き換え、持てる物を投影した。そこにいつもの日拝と変わらぬ物を見いだしてしまえば後はいつもと同じ。慣れぬ作業の為に時間は掛かったが面白かった。
”いつもの状況”に持っていくまでに色々なことを考え想起して行った。なかなかこっぱずかしいというか青いことも考えながらなので、きっと人には言わないだろう。特段に高度なことをしたわけでもないし。
小五芒星儀礼についても日拝と同じく切り替えが出来てしまえば後はいつもと同じ。
しかし、いつも実行するときに見える自分の肉体が見えないので、そこは面白かった。五芒星を想起するコツがちょっといつもと違う感じだった。まぁでも特別やりにくいということもなかったので誤差だろう。

時間を掛けてじっくり行ったため、いつもより没入感が高かった。何度か行って比較検討してみたい。だけど、普通にしている分には普通の結果になる気がする。

今回のブログタイトルを考えるにあたり、往年の名曲「カナダからの手紙」をもじれないかと考えたが無理だった。残念である。

宇宙空間(inVR)での儀式実行

VR空間上での儀式の実行は、昨年、VIVEを買ったときからやろうやろうと思いつつやってなかった。

よーやっと重い腰を上げてみた。まず最初に考えたのは自分で儀式に適したVR空間を作り上げての実行。開発環境は整えてみたのだがそこで中断。なんかイベントが挟まると意欲が消えるのが私の悪い癖。これが今までVRでの儀式実行しなかった一番大きな理由。まぁ口だけ野郎な訳だな。

でまぁ先日、もう一回やってみたと考え始め、GoogleEarthVRで良いところを探し始めたんだが、どーにも上手く行かぬ。良い感じの風景の場所は解像度が低くて使えないし、適したストリートビューも無い。まぁちゃんと探せば見つかるのかも知れない。どっかの国立公園とか。都市部の良い感じの公園とか。NYのセントラルパークも悪くは無かったが。

んでまぁTwitterでふがふが言いながら、MitakaVRでの実行を思い立ち、実践してみた。以前から地球から全宇宙を球体にするまでの映像を見て実践に役立てることはしてたのだが、VR内で儀式を実行するのは初めてだ。

昨日は、カバラ十字だけ試してみた。違いは言語化できてないが、入り方が違う気がした。大沼先生の本で出てきたカバラ十字のイメージ、アレに近いのを肉眼で見られるのが良いな。

今日は日課の五芒星小儀礼も内部でやってみた。2回。通常の部屋とVR。日拝も行った。

レイヤーが一段削られているような感覚。今まで視覚化していた部分を一つ負担が減ったような。しかし、思ったままではないので、そこはデータを集めるべきなのだろう。多分、視点位置なども関係してくると思う。

今日儀式を行う際に使った視点位置。

苔盆栽と見立て

昨日、苔テラリウムを作成した。容器の方もアクリル板を貼り合わせて作った自作。できあがったものを見ると、テラリウムというより盆栽といった感じ。

今回はオブディシアンの球体と小型の水晶球、水晶の柱を使い、見立てを試した。ただ、あまりオカルト臭が露骨だとまずかろうと言うことで幾らか考えてみた。

苔盆栽

これだけだと普通の苔盆栽に見えると思う。まぁこういう水晶を置くのは変わってるかも知れないが。
一応、これは生命の樹と叡智の蛇の抽象化(?)のつもりだ。もうちっと綺麗に作れないか、露骨にできないかとは思ったのだけども、自分のデザインセンスではこの辺りが限界だったと思う。

全然蛇行してないじゃんとか。パスがなってないじゃんとか色々有るかとは思うけど。まぁこれで思い出すように結びつけてみようと思う。

変な癖が付くかどうかはわからん。

現在の日課など

メモに近いもの。

現在、日課を行うのは基本的に朝だけである。気が向いたら夕方も。

日拝
これは完全に生活のリズムに溶け込んでいて、余程の非常事態でも起こらなければ実行している。
カバラ十字
余程のことがなければ、単体にはならない
五芒星小儀礼(LBRP)
日課のメインディッシュ。
魔術日記
あまりに当たり前なので日課に入らない気もするが。一応。通常は一日の終わりに描くのが正しいはずだが。私は夜が弱いので前日のことを朝に描くようにしている。お陰で私の魔術日記はその日の日課の結果と前日のことがごちゃ混ぜになっている。

もっとやった方が良いことも沢山ある。
四拍呼吸、瞑想、座学etc。
占いの勉強はここ数年サボりっぱなしで成長が見られない。
どこかの育成過程にいるのなら、「やる気がないなら出て行け」と放り出されるレベルだろう。ソロで良かった。
占星術は、「やらねばならぬ」「やってないので困る事も有る」のに、どーにも学習が進まない。なんでだろうなぁ。

あぁ、後は夕方にもちょいちょい日拝をする。気が向いたら五芒星小儀礼も。特に五芒星小儀礼は、本来欠かさずやるべき事のはずなのだが。
四拍呼吸は思い出したようにやっている。
これは運動選手の走り込みのようなもんだと認識している。地味だし成果は中々見えない。しかし、修羅場というかレベルの高い場で力を発揮しようとするなら、やった事が結果に出る。
ただ、睡眠時無呼吸症候群の為かなんなんか。なかなか入りが浅いし時間も短い。これももっと密度を高くせにゃならんよな、と思っている。

何にせよ、満足できない状態なのだが。仕方有るまい。理由はおおよそ見当が付いている。

ブログの画像のこと

今回、Twitterアカウントやブログを立てるに辺り、イメージソースとして考えたのは濃い青の海中だった。しかしイメージに近い物が無い。そこで、改変して使用しても構わないNASAの画像を使うことにした。

幾つかの画像に加え、DesignDollというデッサン人形ソフトで人型を作った。それらをPhotoshopで合成し、できあがりである。

言うのは簡単だが、こちらは素人のため結構時間が掛かった。モチーフが決まらずうろついたり、勢いよく作ったのを見たら思ったのと違うものができて作り直しになったり。数時間かかったと思う。

今の物も完璧では無いが、満足だ。

さて、これらの画像だけど。これはこれで一つの修行になっていると考えている。今回のモチーフは、魔術的な側面を備えていて、なおかつある程度は自分解釈を含めたものにした。
なので、描くに当たっては資料に当たったし、自分の中の曖昧な部分を突き詰めてみたりした。そう考えるとこれも修行である。と。