春分へ向けて

春分に向けて儀式の精度を上げていってる。
日拝、プレ、五芒星小儀礼、生まれなき者の儀式。どれも精度を上げてやってみると結構頭がほわほわする。
魔術用デスクトップの壁紙。DALLE-3使えば良いのではないか。四方と中央作ってClipPaintで合成みたいな。

宇宙の調べ: 西洋儀式魔術と多元宇宙のアンサンブル

西洋儀式魔術の伝統、特に黄金の夜明け団の流れを汲む者として、19世紀の神秘的宇宙観と現代の宇宙学の融合は、新たな視点と知識の探求への道を開く。この探求は、古代の象徴と現代の科学の間に新しい対話を生み出し、宇宙の深遠な理解へと導く可能性を秘めている。
黄金の夜明けは当時最新の技術、電気を儀式に利用した。我らも同じ事をしてはならないという法は有るまい。本物の科学者でもない私が聞きかじりのアイディアを練る様は滑稽かもしれない。しかし一人の魔術師としてのあがきとみて頂ければ幸いである。

多元宇宙理論は、無数の宇宙が存在し、それぞれが独自の物理法則や運命を持つと提唱する。この理論は、宇宙がエネルギーの生成、隆盛、衰退、そして死のサイクルを経ることを示唆し、これらのフェーズは古代の四大元素—地、水、火、風—と対応する。それぞれの宇宙はこのサイクルの特定のフェーズにあり、それらのエネルギー状態は宇宙の物質とエネルギーの動きを定義する。

元素・四方・エネルギー
生成
隆盛
西 衰退
死・停止

多元宇宙理論の一つにエネルギー時空がある。エネルギー時空のコンセプトは、エネルギーと時空の交差点に焦点を当てる。そしてダークエネルギーやダークマターのような現代の宇宙学の問題を探求する新しい枠組みを提供する。このエネルギー時空という仮説は、宇宙のエネルギーの流れと時空の幾何学を結びつけ、魔術的な宇宙観と現代の宇宙理論を融合させる可能性を示唆する。

西洋儀式魔術の象徴的な枠組みと多元宇宙理論を組み合わせることで、新しい祈りや儀式の可能性が生まれる。四方と四大元素、そしてエネルギーの四段階のサイクルは、神秘的な宇宙観を現代の宇宙の理解と結びつける新しい道を開く。それらは祈りや意識のレベルで宇宙の深遠な真理にアクセスする手段となり得る。

さらなる探求の余地として、「上下」の概念、五芒星や六芒星の象徴的意味、そしてそれらが時空の構造や黄道十二宮、天国、生命の木とどのように関連しているのかを考察することが挙げられる。これらの象徴は、新しい宇宙観の創造と神秘的な宇宙観の再解釈を促進する可能性があり、さらなる探求を刺激する。

この交差点での探求は、古代の知識と現代の科学の間で新しい対話を生み出し、宇宙の本質についての深い洞察を提供する可能性がある。新しい宇宙観の創造は、宇宙の神秘と科学の融合を通じて、未知の領域への冒険へと私たちを誘っている。そして、この冒険は、宇宙の深遠な理解と人間の存在の真実を探求するための新しい道を開く可能性を秘めている。

我々は歩みを止めてはいけない。我々は魔術というArtを行う者なのだから。

昨日有った事、どうでも良い事

昨日、日課で五芒星小儀礼をしたときのこと。

東の方角に五芒星を描きYHVHを唱えた時、ぶわっと強い風を顔面・肩・胸に感じた。このような感覚に届くような事はタマに有る。海の香りがしたり、強い日差しを感じたり。常に起こる事では無く、中々再現出来ない。

その事を(もうちょい詳細に)魔術日記に書きながら思った。こういうふうにして、日課や思い付いた時とかに色々試行錯誤していったりしなかったりしながら続けていくと、有る時ふと違う事が起きる。今回のような事だ。どーでもいいことだったりどーでも良くない事が有って、それの価値を定めて、有用なようだったら再現出来るようにしていく。

そうやって選択したものなのに、不必要なものもあったり、時には後から本に書かれてる内容と符合したり。色々色々あって、気がつくと螺旋が一巻きしている。

私が思う学びというのは螺旋だ。ひたすらに登っていって、登ったつもりが同じようなフェイズを向かえていたりする。ただ、前よりは自分の目線や技量が違ったり、課題の難易度も変わっていたりする。ただまぁそれを超えるのは中々難しい。
もーちょっと頭が良かったり、メンタル面の懸念が無かったら、もっと違ったのだろうけども。
まぁそれは仕方が無い。
自分の持ってるカードで勝負するしか無い。

以前の魔術日記を見れば、さすがに「レベルが上がっている」と感じる。無事に続けてこられて良かったと感じる。それが出来たのは、別に何か秘訣があった訳でも特別な才能があったわけでも無い。たゆまず続けてこれたかと言えばそうでもない。調子を崩し、半年、一年中断した事もある。
そう考えれば、ここまでこれたのもそれだけで十分な成果なのかもしれない。

本日のチラ裏(日本人が日本で近代西洋魔術を行うと言うこと)

「日本人が日本で近代西洋魔術を行うと言うこと」

これについては、何度か「きちんと行うことが出来ない。止めた方が良い」的な話は聞いたことがある。

しかし、どうなんだろう。
例えば四大精霊への接触において何種類かのシナリオがあるが、それぞれ時代と場所によって変化がある。最近のものだと環境問題が入っているし、ちょっと古いものだと戦後のムーブメントの影響がある。

もちろん、GD時代のロッジで行われた空気は再現できないし、当時のサロンに居た人達のメンタリティを再現できないのは当たり前だ。
それをいえば、現代において魔術師になるのは不可能になる。それは馬鹿な話しになろう。

ならば(だいぶ飛躍があるが)現代日本人がその精神性に合った”西洋今術師”で在っても良い気がする。

本日のチラ裏 (五芒星小儀礼)

最近、心の赴くままに五芒星小儀礼やってたら、下みたいになってきた。やたら豪華になってきたが、そこまでゴテゴテするなら大儀礼やったら?と思わなくも無い。


ケテルを感じようとするが中々感覚が得られない。
雑な中央の柱を行い、エネルギーに対する集中を深める。
再びケテルに集中すると上手く行く。
そこから3軸に沿った円弧を描く。もちろん中心は体だ。

カバラ十字を行う。
垂直方向と横軸方向で二本の黄金のシャフトが体を貫く。シャフトは交差点で噛み合い回転する。最後にそこを中心として薔薇十字記章のようなものが浮かび出る。

四方を回る。やり方は先日書いた変形版。オリジナルよりも相性が良い気がする。悪いことは特に無い。
反応がハッキリと半ば物理的な波動を感じる。

四大天使の圧が強い。皮膚にハッキリと感じ取れるようだ。それとともに3軸の交点に薔薇十字が浮かび上がる。(しかし軸に従ってある円って何と呼ぶのだろう。) 高まる内圧が光となる。放電現象のようなものが自分と球を結ぶように発生する。

最後に視界が光に包まれて終了した。マンガやアニメだと、必殺技食らって死ぬときの演出だよな(笑)

もちろん日常への帰還も忘れずに。

魔術的歯磨き

魔術が日常生活で役立ってる事と言えばなんだろう。

私の場合、真っ先に思い付くのが歯磨き。

私が歯を磨くときは目を閉じる。歯を磨きながら「ココを磨いた」「そこがまだだ」とやっていくわけだが、その際に実は「視覚化」を行っている。歯を磨きながら口腔内を視て、「あ、ココまだだな」と気付くわけだ。

毎朝毎晩やっていくのだから、腕の方も上がりまくり。もはや慣れた物である。

魔術で鍛えたスキルを活かしているのだから、こっそり「魔術的歯磨き」呼称しているのだが広める相手が居ない。

仕方ないのでブログに書いて自慢してみる。

チラ裏 カバラ十字したときのこと

カバラ十字を行おうとしたところ、変わった事があった。

意識を体に向け、準備すると体が白い半透明のモノリス状の立体になって、その中に生命の木が埋め込まれているイメージが湧く。
その状態からカバラ十字を実行すると、いつもよりかなり明瞭にエネルギーがセフィラを通る様子が実感できた。セフィラを通過するときに、強く輝いてた。

半透明の黄緑色に染まった生命の木

中央の柱のような瞑想のような事を日課の一環としてやってみる。
直立し、目を閉じる。タイマーを5分に設定。
最近、SNS等の影響でささくれ立ち気味なのでそれの解消を目標に。

吸って吐く。これに合わせて、まずはエネルギーを上下に。
次に吐くときに全身の毛穴からエネルギーが出る様子を幻視。
エネルギー全体が薄い黄緑色(半透明)の光に包まれる。
ネツァクの影響だろう。自分の中の黒いシミが剥げていく。

生命の木自体を意識し、それぞれのセフィラにエネルギーを通していく。
この時も緑のフィルタが掛かっているかのようだった。

実はこの現象、昨日にも体験している。気分がささくれ立ち、良くない感情が止まらなくなったため深呼吸を行い生命の木を思い浮かべたところ、半透明の黄緑色に染まった生命の木が思い浮かんだ。
今日の瞑想はそれの再現を狙ったものだった。

詰まったパイプ(ビーム)

本日、中央の柱でのこと。

なんか最近、体の中央を走るパイプ(ビーム)が詰まる感じがしていた。流れが悪く、流れがギザギザ?してる。

そこで、意識の焦点を合わせて良く見て見ると、水槽やポットにくっつくカルキみたいなのがこびりついてる。エネルギーをアイスピックみたいにしてがっしがっしと削ってみたらスムーズに。
このイメージは使える。
その後自分の殻の内側に圧を掛けてみる。先日より楽になった気がする。
今回は自分の内というかエネルギーの通り道だけだったが、エーテル体なども磨いた方が良いのかも知れない。噴出させるエネルギーだけでは効率的に剥がせないと思う。

絵を描いた後の儀式は解像度が上がった

本日の日課の実行時。ここ数ヶ月はエレメンタマギカの挿絵が脳を占めたのだが、今朝のイメージは昨日描いた絵が脳を占めた。

やはり自分が描いたものだと隅から隅まで知っているから解像度が高い。ラファエル描いただけで、全体的にも良い感じになるのであれば、これ四大天使全部描き終えたらどうなるのか、非常に楽しみ。

しかしまぁ色んな道具やブラシなんかを使って描いた絵は、自分で描いたとは思えない程良い出来に見える。ブラシを導入してなかったらこんな風に草原や羽根は描けなかった。大ざっぱでめんどくさがりな性格なのでラフみたいな出来になってただろうなぁ。